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豪州でのハッピー・リタイアメントは、
妻に出会えたからこそ掴めた幸運

元実業家:青木博さん

日本経済が飛躍的に成長を遂げた高度成長期の最後の年、
1973年、30歳で「脱サラ」し起業

青木博さんご夫妻が暮らすオーストラリア、ゴールドコーストの街並み。オーストラリアきってのリゾート地である。
元実業起業家で、現役引退後オーストラリアに居を構えた青木博さん。お隣は元JALのCAで、その堪能な語学力で海外での生活をサポートされている、奥さまの保子さん。

『リタイアメント・ビザ』なるものをご存じだろうか。いわゆる年金受給者などの退職者を対象とした長期滞在査証である。ロングステイは数か月にわたる一時滞在で観光感覚、リタイアメント・ビザは定住に近い感覚で取得を目指すものらしい。世界中で数十カ国が発給しており、その条件は年齢制限があったり、一定の額以上の貯金が必要だったりと国によって様々だが、一部の国を除いて就労は認められていない。日本ではないどこかで余生を送りたい人のための査証である。そのリタイアメント・ビザを取得して、オーストラリア・ゴールドコーストでの「新たな人生」を送る元実業家の方が、新型コロナの世界的な蔓延で、日本に緊急帰国したもののオーストラリアのご自宅に戻れなくなっているという。青木博さん(77歳)だ。身近では見聞きしない稀有な「生き様」と、余生という響きが似合わない「暮らしぶり」に触れさせていただいた。

現地の高名な建築家が自身のために建て、すでに暮らしていた白亜の邸宅(地下には、車5台が停められる駐車場がある)に一目ぼれした青木さん。地元の不動産屋を介して、相場を上回る価格で粘りの交渉。その熱意に根負けした建築家から譲り受けたという、青木さんご自慢のレジデンス。
湖畔のほとりに建つ青木邸には、プールはもちろんのこと、自家用クルーザーが横付けできてしまう桟橋まであるという。

―― 『リタイアメント・ビザ』を取得されて、ご夫婦でオーストラリアに生活のベースを移されたとうかがいました。

青木さん「リタイアメント・ビザを取得して、しばらく経った65歳のときに生活の拠点をオーストラリアのゴールドコーストに移しました。今は、77歳ですので、もう丸12年になりますね。現在、オーストラリアは私たちが取得したタイプのリタイアメント・ビザは発給していません。まさに、私たちが取得した年に廃止になりましたから(2005年7月からは新制度・投資家リタイアメント査証が施行)」

―― リタイア後の生活を思い描いたときに、どうしてオーストラリアという国を選択されたのでしょうか?

青木さん「いろいろな国を見て回り、どこで暮らそうかと迷いましたが、一番良かったのがオーストラリアのゴールドコーストでした。決め手は、気候です。暑くもなく、寒くもなく、一年を通じて、ずっと半袖シャツと短パンでゴルフができるんです。家の近くには、ゴルフ場がたくさんありましてね。就労してはいけないリタイアメント・ビザですので、オーストラリアではひたすらゴルフのみの暮らしです(笑)。新型コロナウイルスの蔓延で2020年の春に緊急帰国するまでは、年に3回日本(自宅)に帰り、おいしい和食を食べたり、温泉に行ったり、というようなペースで行き来していました」

日本では「退職」という響きに「もの悲しさ」を感じるものだが、欧米では退職される方に対して「おめでとう! これからの人生を楽しんで」と祝福する「ハッピー・リタイアメント」といった考え方が定着していると聞く。周囲に良いロールモデルがいないから、老後に対するイメージがなかなか変わっていかないのだろう。青木さんは、まさにハッピー・リタイアメントを実現された方なのだ。

―― 眩いほどの充実された日々をお過ごしですね。もちろん、そのような暮らしを支える資産を一代で築き上げられた経営者時代の猛烈なお仕事ぶりがあってのことなのでしょう。青木さんが「脱サラ」されて事業を始められたのは、おいくつの時なのでしょう。

青木さん「ちょうど30歳……1973年です。バブルが起きる10年くらい前、田中角栄内閣の『日本列島改造論』に触発されて日本列島改造ブームが起きた頃ですね。世間では、八百屋さんや、魚屋さんといった小売店舗での買い物から、欲しいものが何でも揃っているスーパーマーケットで好きなものを買い物かごに入れてレジで精算する業態へと移行していった時代でした。

あの時代は『脱サラ』がブームにもなっていて、私の仲間も夢や希望を求めて何人かは挑戦を始めていました。彼らの話を聞くと、これが面白そうなのです。そこへもって、一足先にゴルフやボーリング大会などの景品を扱うギフト販売の仕事をはじめていた同級生の友人が、商売として結構うまく成り立っていたらしく、“仕入れや販売の方法を教えるから、やってみたらどうだ”と勧めてくれまして……、それで“よし、やるか”と思い切って私も起業しました」

―― ギフト関係の会社を立ち上げられたとうかがいましたが、それは引き出物などの気前の良さで有名な名古屋の市場が大きそうだと目をつけられてのことだったのでしょうか。

青木さん「その時代のギフト業界は順調に発展が続いていましたが、結婚式の来賓の方々にお渡しする“引き出物”より、葬儀時にお供えいただいた“御香典”のお返しとしての“引き物”の扱いが主流になりつつありました。それには、この地方の土地柄や気質と名古屋の市場の大きさが相乗しており、この先の商いに発展性を感じた私は、“葬祭ギフト”を扱う様になりました。

10年近く経った頃、取引先でもあった、名古屋市内でも社歴も古く、年間葬儀件数が常時トップクラスの老舗会社の社長から、別会社として外商部を設立しないかとの打診がありました。広告会社を退社して一から出発し、小さいながらも社長としての実績も積んできたので、正直悩みましたね。思案を重ねるうちに、当時の“葬儀業界”を鑑みると“悪い話ではない”と思い始めました。そこで私の考えていた幾つかの方法を提示し、真剣な話し合いを行った結果、“君の思う様に頑張ってくれ”と言われて、引き受けることになったのです。これが結果的に成功だったと、今、改めて社長には感謝の気持ちでいっぱいです。

こうして私は、本格的バブル期(1986年12月~1991年2月までの51ヵ月)に突入する直前の1984年(昭和59年)5月に“葬祭ギフト”を扱う会社を設立したのです。同時期に葬儀業界に大革命がおこりました。とくに、この業界を大きく変えたのが、“斎場での葬儀”の登場です。それまでは、自宅もしくは集会場、さらに大きなものは寺院で、と限られていた葬儀の場所が、“葬儀専門会館”での施行へと移っていったのです」

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