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たまり、豆味噌のシェアは全国TOPレベル。
『イチビキ』七代目社長が守り続けた「愛」

イチビキ株式会社元社長:中村陽一さん

創立100周年を迎えた老舗イチビキ。
慶蔵の丈三桶と、陽一社長の改革

ライフル銃を手に、仕留めたエゾ鹿と共に。北海道標津にて。ゴルフ、海外旅行と多趣味な中村陽一さんですが、もっとも夢中だったのが狩猟。80歳まで山野を駆け巡り、獲物をしとめ、肉を捌き、自ら料理に腕をふるい、仲間と笑いの絶えない食卓を囲んだ。そんな奥深い趣味の話もうかがいました。
中村陽一さん(89歳)
イチビキ株式会社』元社長。90歳を迎えようという今なお、『全国醤油工業協同組合連合会』『全国醤油醸造協議会』の顧問、『愛知県味噌醤油工業協同組合』相談役をお務めになり、さらには『東京農業大学』の客員教授もされるほどのご活躍ぶりである。

東海地方の家庭の台所には、必ずといっていいほど『イチビキ株式会社』(以下、イチビキ)の調味料が並んでいる。イチビキでは、1919年に初代社長の中村慶蔵が愛知県豊川市で前身『大津屋株式会社』を設立して以来、味噌、醤油、つゆ類、あま酒など、多くの発酵食品の開発を手がけてきた。会社創立から100年以上となった老舗イチビキの味は、いわば愛知県民、東海地方の人々のおふくろの味そのものなのだ。

そのイチビキにおいて長きにわたって社長を務めあげた人物こそが、七代目社長の中村陽一さんだ(現イチビキ九代目社長の中村光一郎さんは、ご長男)。

守り続けた“豆味噌、たまり醤油文化”のことはもちろん、醸造を主軸としつつも加工食品分野を2本目の柱に据えるべく大きく舵を切り、今のイチビキへと続く方向性を定めた中村さんの社長時代についても話をうかがった。

日本最大の味噌・たまり醤油の仕込み桶である『丈三桶』は、『イチビキ株式会社』のシンボル。今でも、創業の地・御油(愛知県豊川市)にある第1工場で、大切に使われ続けている。稼働中の貴重な産業遺産である。

―― イチビキを創業された中村家の歴史は古く、祖先は今川家の家臣だった中村掃部助までさかのぼることができるとうかがいました。そもそも、中村家がお味噌をつくりはじめた創業は、はるか昔の250年前、江戸時代なのだそうですね。

中村陽一さん(イチビキ株式会社相談役)「はい、中村掃部助の子孫・庄左衛門が遠縁にあたる弥三郎を養子に迎えるのですが、弥三郎が縁組の持参金として、味噌・たまりの醸造株(幕府の許状)を持参したのだそうです。これが、まずは中村家と“味噌、たまり”との運命的な出会いとなります。江戸の後期になりますと、商人がかなり力を持ってきていましたから、味噌やたまりをつくれる許可証である“醸造株”は、ある意味、田畑以上に価値のあったのではないでしょうか。

そして、ついに安永元年(1772年)、中村弥十郎が『藤ヶ池』(現:豊橋市下条)で家業として醸造業をはじめ、後々まで250年続く、イチビキの礎となりました」

―― 中村家の家業であった醸造業を、企業として創立されたのが、およそ100年前になるのですね。

中村さん「その後に弥十郎から数えて6代目弥助が、東海道五十三次の35番目の宿場町『御油』(現:豊川市御油町)に『大津屋』という旅籠をはじめるのですが、7代目慶蔵は、再び家業の主軸を旅籠屋から醸造業へと戻します。その7代目慶蔵の三男として誕生したのが、イチビキの初代社長にして家系8代目の慶蔵(37歳で襲名)です。もともとは漢学者を目指していた慶蔵でしたが、明治24年(1891年)、三男でありながら生業を継ぐことになり、突然の方向転換を余儀なくされます。ほぼ素人同然のところから独学で醸造業を学んだといいます。むしろ、このことが、のちに特許をとるような独創的な新製法を生み出していくことにつながったのかもしれません。8代目慶蔵は、事業を拡大し、現在の東海市に2つ目の工場を建て、豊橋市に3つ目の工場を建設中だった大正8年(1919年)、息子たちとともに『大津屋株式会社』を創業しました」

創業の地となった御油は、旧東海道の姿を今に伝える見事な松の並木が有名で、国の天然記念物にもなっている。お隣の赤坂宿とは、『赤坂・五位(御油)』という一つの宿場町と捉えられていた時代もあったが、徳川家康の命によって、街道の整備が行われた際に、御油と赤坂の間に松が植えられ、寛永元年(1624年)までに、御油宿は江戸から五十三番目の、赤坂宿は五十六番目の宿場となる。余談だが、この二つの宿場の近さは、当時から語り草で、江戸時代に流行したしっぽの短い猫は、二宿の距離の短さになぞらえて『御油猫』と呼ばれていたらしい。1843(天保14)年の幕府による調査記録「宿村大概帳」によれば、御油宿の旅籠は62軒、赤坂宿の旅籠は62軒ということなので、これが一つのままであれば、東海道の中でも宮宿(熱田宿)に次ぐ賑わいであったと思われる。そのような宿場町の台所を支えていたのが、大津屋(中村家)のつくる味噌・たまり醤油だったのだろうと推察する。

初代社長・中村慶蔵は、1919年(大正8年)、御油宿ではじめた旅籠『大津屋』から名前をとって、味噌やたまり醤油を製造、販売する『大津屋株式会社』を設立した。これが『イチビキ株式会社』の前身である。店先に並んでいるのは豆味噌の樽であろうか。

―― イチビキの第一工場では、初代社長の慶蔵がつくらせた味噌仕込みのための『丈三桶』が、今でも38本も使われ続けているとうかがいました。『丈三桶』は、木製の味噌仕込み桶としては日本最大で、しかもその作り方も独創的なものだとか。

中村さん「底板の直径と高さが1丈3尺(約3.94m)もある巨大な桶(容量が約50トン)が、仕込み倉に立ち並ぶ様は圧巻ですよ。独学でうまい味噌をつくろうと試行錯誤していた慶蔵は、大量の失敗作を廃棄するはめになったり、工場と原料や燃料で満杯だった倉庫を焼失したりと、滑り出しこそ苦難の連続でしたが、それに屈することなく、再建を目指し、設備の機械化を進め、醸造を近代化させていきました。もともと学者を目指していた慶蔵のこと、やがて醸造の研究家として特許を取得するまでになります。“質が良くて、うまくて、安い”味噌、たまりをつくろうとしていた慶蔵は、味の均一化と資本効率の観点から巨大な桶が不可欠と考えました。六尺桶(容量が約5トン)が一般的だった中、慶蔵の考え出した巨大桶『丈三桶』の製法は、当時の桶工の度肝をぬく独創的なものでした。そのような桶が今も稼働しているのです。産業遺産としての価値は、文化財としても非常に高いとされていて、イチビキのシンボルです」

―― 中村さんが七代目社長を務めておられたときのイチビキは、企業として、どのような成長過程にあったのでしょうか?

中村さん「私が、社長に就任したのは1984年(昭和59年)のことですが、その直前のイチビキは創業以来の危機を迎えていました。味噌の消費は、昭和34、35年がピークで、食の多様化でマーケットも次第に小さくなっていきましてね。1983年、専務だった私が委員長を務めるかたちで、社員7名による『再建委員会』が発足されました。実は、急成長によって人員コストが肥大化していた中、競合他社との乱売合戦で業績が振るわず、わずかではありましたが創立以来初めて赤字を経験していたのです。そこで危機感をもって、あえて “再建”という厳し目の言い回しを選びました」

―― 企業として厳しい局面を迎えたタイミングで、重大な役目を引き受けられたのですね。

中村さん「そうですね。痛みをともなう改革の中で社長に就任し、その翌年、経営改善への道筋が整ったとして、再建委員会は解散しました。それでも、さらなる改善を目指し打ち出したのが、 “味噌、醤油の高付加価値化”と、それ以外の食品部門を事業の柱の一つとして成長させようという“食品30%構想”でした。不退転の覚悟で、新たに食品工場を建設いたしました」

―― イチビキ再浮上の原動力となる『長熟二度仕込みしょうゆ』を発売し、イチビキが発酵、加工食品のメーカーとしても発展を遂げる道筋をつけられたのが、まさに中村陽一社長だったのですね。

中村さん「新しいイチビキをつくるべく、社員にも“将来のありたいイチビキ”というレポートを提出してもらい、生まれたスローガンが“おいしさスマイル”です。コンビニエンスに調理ができて、しかもおいしい(グルメ志向)という意味を持たせました。その後も、これ1本で料理の味が決まる『献立いろいろつゆ』や、手軽に味噌料理がつくれる『献立いろいろみそ』等を開発しました。

それでも、肝いりだった加工食品分野のほうは、しばらく苦戦を強いられていたんですが、1998年(平成10年)に発売した『赤飯おこわ』がヒットしたことを皮切りに、花開いていきました。下ごしらえした小豆と同じパッケージの中に無洗もち米を入れて、それを炊飯器にザッとあけて炊いていただくだけで、ご家庭で手軽に炊き立てのお赤飯を食べていただけるという商品です

中村陽一さんは、『イチビキ株式会社』の社長職を退かれた翌年の平成18年春、食品産業発展への貢献が認められ旭日小綬章を受章している。

中村陽一社長時代に開発された『献立いろいろみそ』と『献立いろいろつゆ』。
東海地方の台所では、おなじみのラインナップであり、イチビキの代表商品だ。

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